GWは展覧会ウィークでもありました。
まずは国立近代美術館の岡本太郎展。
午前中に行ったのですが、さすがにNHKでドラマが放送されていたこともあって、行列できていました。
我々の世代にとって岡本太郎とは「芸術は、爆発だ!」の強烈なCMのオジサンだった、、、訳ですが、大学に入って建築を学ぶようになると丹下健三とコラボした芸術家、という認識に変わりました。
磯崎新がその関係を評して「あの二人は Love and Hate なんだ」というコメントをしていますが、なるほどなあ、と思います。
それは対外的な性格でもそうでしょうが、構造の力強さを前面に出し、飾りの無い素の構築物としての丹下建築に対して、子供のような天真爛漫さを岡本のアートの関係というのはお互いを補い合う絶妙の関係であった、といえます。
存命中はどちらかというと、過去の大家、というイメージだったのですが、死後、00年代に再評価が盛り上がった感があり、その時期に青山の岡本太郎美術館に行ったり、再発見された壁画「明日の神話」を見に行ったりしました。
展覧会自体は回顧展ということで、初期からクロニカルに作品を展示していて、岡本太郎の全体像を理解するという点でわかりやすい展示でした。
「芸術は、爆発だ!」の昔懐かしいCMも流れていましたが、今見てもインパクトありました、やっぱり。ダリとかもそういう感じですが、「奇矯な芸術家」としての自身を演出している部分はあったと思います。自分自身も作品の一部といいますか。
個人的には岡本太郎が撮った日本各地の写真というのが、彼の作品以上に好きだったりします。
昔の祭りや風物、を驚きの感情を持ってカメラに納めていて、呪術的な信仰がまだ日本の社会に実体として根付いていた時代の雰囲気というのを良く表現しています。
作品としてはやはり「明日の神話」が傑作かと。
渋谷駅の京王線の連絡通路に展示されていて、しばらく誰も見向きもしてませんでしたが、、、震災を経て、その絵の中に表現されているものを改めて見ると、今日の状況を予言しているようで、ちょっと凄みを感じます。
まあ、それで原発の絵がイタズラで貼りつけられた訳ですが。
数日前に若手アーティスト集団が実行者として名乗り出ましたが、展覧会用の作品の一環だったそうで、ちょっと興冷めな感じはしました。
イタズラとしてはアート的でウィットに富む、と思うけれど、アートの文脈で語るとなると、うーん、、、と思います。
あともうひとつ行ったのがBunkamuraのフェルメールの地理学者とオランダ展。
フェルメールの作品は世界に30数点しかないので、その気になれば全点見ることは出来ます、たぶん。
そして現地の美術館に行かずとも、数年に一回、いずれかの作品が日本にやってくるので、さっき数えたら現地で見たのも含めて11点は確実に鑑賞していました。
この勢いで全点制覇する、のが個人的な目標のひとつです。。。
数を自慢してもしょうがない、、、のですが、個人的に好きな画家のひとりで、非常に繊細でキメの細かい美しさをもったその絵画は、きわめて日本人好みかもしれません。
加えて、建築家は一様にフェルメール好き、かと思います。
画面左上からほのかに照らされる白い壁の静かな室内空間は時代や地域を超えた不思議を魅力を持っています。
だいたい、日本でのフェルメール展では他の画家も多くの作品も展示されているのですが、絵画としての魅力の差が歴然としています。
例えて言うなら、渋谷の雑踏の中を歩くLady GAGAみたいなものかと・・・。
ちょっとわかりにくい例えかもしれませんが、、、そのくらい他の同時代の絵と違う。
画面全体がキラキラしていて、絵そのものが光を放っているような様は、絵画というより宝石に近い感じすらします。
事実、フェルメールはカメラ・オブスキュラという原始的なカメラを製作に用いていたという説もあり、光の捉え方やその表現の仕方というのは卓越しています。
日本で観るときは常に人だかりが出来ていて、なかなかゆっくり見られないのが残念ですが、ずーっと観ていても飽きない絵でした。
フェルメールは20世紀になってから「再発見」された画家ですが、再発見されたのもうなづけます。「傑作」といわれるものに接すると、時代や歴史を超えた普遍的な表現の強さや豊かさにココロ打たれることがあるのですが、作家の有名性や歴史性だけでアートを評価しないで、作品そのものの持つ魅力で判断するような素養というのを持っていたいなあと思います。
たぶんそういう素養は物事やヒトを見るときでも同じかもしれません。
ということで長くなりましたが、アートレビューでした。