先日、目黒線の大岡山に行ったのですが、駅のとびらの真上につばめの巣ができていました。
最近、日本全国でつばめは減少しているそうで、そう思えば確かに巣を見かけることも少なくなtっていることに気づきますが、このつばめさん、扉の上にあるアラーム灯の真上、という小さいスペースでありながら絶妙な場所に巣をつくっていました。
駅の改札の真横で人通りの多い場所なので、皆さんけっこう視線を注いだり写真撮ったり、ほんとに注目されている状況になっているのですが、、、そんな下界の状況をお構いなしにひっきりなしにエサを運ぶ親鳥と親をひたすら待つヒナの様子は、たくましくもあり微笑ましい感じもあります。
下の扉を通る人にフンが落ちないよう、ちゃんと受け台をつくってありますが、そういう関係者の方の配慮も心憎いなあと思います。
このツバメの巣のように、人と動物が共生できる環境は思い通りにできるものでも無く、自然の営みは人間の想像力を軽く超えていくものですが、それを可能にする素地を持ちえる環境を準備することは出来るものです。
そういう建築・環境をつくっていければ、と思います。
2012/05/28
2012/05/21
Kusama
これも終了してしまいましたが、埼玉近代美術館での草間ヤヨイ展、行きました。
美術館をフルに活かした展示。
建物の設計は黒川紀章さんですが、もう空間を圧倒しているというか。。。
草間ワールド全開、でお客さんも大入りでした。
とてもポップで楽しい作品と展示が満載でありますが、絵画を中心とした展示をよくよく見てみると、とても常人には描けないであろう、精神の内面をそのまま覗き込んだような、明るいようでいて、底恐ろしいような世界が拡がっていました。
ポロックと同じように、天才のなせる業、としかいいようが無いのですが、なにしろ齢80過ぎにしてこのパワー、、、凄いものです。
通常、どんなアーティストでも創作のピークというのはどんなに遅くとも60歳前であることが多い、ものですが、草間さんは今がピークでないかと思います。
作品の密度といい、一般的な人気の度合いといい・・・・。
燃え尽きる前の一瞬の輝きが増幅されている感じなのか、、、よくわからないのですが、とにかくハイパーおばあちゃん、こういう人が世の中にいることがわかるだけでも元気になるものです。
100歳以上、、、長生きして世の中をもっともっと元気にして欲しいなあと思いました。
美術館をフルに活かした展示。
建物の設計は黒川紀章さんですが、もう空間を圧倒しているというか。。。
草間ワールド全開、でお客さんも大入りでした。
とてもポップで楽しい作品と展示が満載でありますが、絵画を中心とした展示をよくよく見てみると、とても常人には描けないであろう、精神の内面をそのまま覗き込んだような、明るいようでいて、底恐ろしいような世界が拡がっていました。
ポロックと同じように、天才のなせる業、としかいいようが無いのですが、なにしろ齢80過ぎにしてこのパワー、、、凄いものです。
通常、どんなアーティストでも創作のピークというのはどんなに遅くとも60歳前であることが多い、ものですが、草間さんは今がピークでないかと思います。
作品の密度といい、一般的な人気の度合いといい・・・・。
燃え尽きる前の一瞬の輝きが増幅されている感じなのか、、、よくわからないのですが、とにかくハイパーおばあちゃん、こういう人が世の中にいることがわかるだけでも元気になるものです。
100歳以上、、、長生きして世の中をもっともっと元気にして欲しいなあと思いました。
2012/05/07
Pollock
展覧会の会期はけっこう長いものですが、いつも会期末にバタバタで駆け込みで観に行ってしまいます。。。
本日で終了しましたが、東京国立近代美術館でのジャクソン・ポロック展にGWの合間に観に行きました。
ポロックといえば、アクション・ペインティングによって抽象表現主義の世界を切り開いた、アメリカのミッドセンチュリーを代表するアーティストです。
展覧会はそんなポロックの生涯を概観する企画になっていましたが、色々な試行錯誤を繰り返しながら、アクション・ペインティングによって一瞬の輝きを得ながらも、破滅的な終局に向かって突き進んでいく、その軌跡がみてとれる展示でした。
天才と狂気は紙一重、なのでしょうが、精神疾患を繰り返しながら最期は自殺に等しいと思われる、交通事故による衝突死に至る、その精神の軌跡が見て取れる絵画の数々は、時に神々しく輝き、時に重苦しく感じるものでもありました。
ポロックの一般的なイメージにある、ドリッピングを駆使したペインティングを描いた時代はほんの数年の出来事な訳ですが、その軌跡は夭折のロックミュージシャンにも似たものを感じます。
よく言われるのはポロックの絵画は即興的で同時代のアメリカのジャズに近いものがある、ということですが、描かれたものや制作している時のドキュメンタリー映画を観ると、骨太のロックミュージシャン、にも見えます。
ジミ・ヘンドリックスとか。。。
時代違うし、ベタですが、何か重く衝動的で骨太な表現というのは似たものを感じてしまいます。
会場のエンドにはポロックのスタジオが再現されていました。
ちょっとピンぼけですが、ポロックのスタジオの床。(レプリカですが・・・。)
制作の痕跡を顕著に感じられるこの床の汚れは、格闘の軌跡を如実に感じさせてくれ、作品以上にアートを感じてしまいます。
魂を削りながら、何かを創らずにはいられない、そんな衝動を内に抱えながら生きたポロックは、やはり天才的なアーティストなのでしょう。
本日で終了しましたが、東京国立近代美術館でのジャクソン・ポロック展にGWの合間に観に行きました。
ポロックといえば、アクション・ペインティングによって抽象表現主義の世界を切り開いた、アメリカのミッドセンチュリーを代表するアーティストです。
展覧会はそんなポロックの生涯を概観する企画になっていましたが、色々な試行錯誤を繰り返しながら、アクション・ペインティングによって一瞬の輝きを得ながらも、破滅的な終局に向かって突き進んでいく、その軌跡がみてとれる展示でした。
天才と狂気は紙一重、なのでしょうが、精神疾患を繰り返しながら最期は自殺に等しいと思われる、交通事故による衝突死に至る、その精神の軌跡が見て取れる絵画の数々は、時に神々しく輝き、時に重苦しく感じるものでもありました。
ポロックの一般的なイメージにある、ドリッピングを駆使したペインティングを描いた時代はほんの数年の出来事な訳ですが、その軌跡は夭折のロックミュージシャンにも似たものを感じます。
よく言われるのはポロックの絵画は即興的で同時代のアメリカのジャズに近いものがある、ということですが、描かれたものや制作している時のドキュメンタリー映画を観ると、骨太のロックミュージシャン、にも見えます。
ジミ・ヘンドリックスとか。。。
時代違うし、ベタですが、何か重く衝動的で骨太な表現というのは似たものを感じてしまいます。
会場のエンドにはポロックのスタジオが再現されていました。
ちょっとピンぼけですが、ポロックのスタジオの床。(レプリカですが・・・。)
制作の痕跡を顕著に感じられるこの床の汚れは、格闘の軌跡を如実に感じさせてくれ、作品以上にアートを感じてしまいます。
魂を削りながら、何かを創らずにはいられない、そんな衝動を内に抱えながら生きたポロックは、やはり天才的なアーティストなのでしょう。
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