2010/06/04

黒と白の世界

世界というのは黒と白の2色でできている、訳ではありません。

黒と白の間にグレーの階調が限りなくあって、更にはモノクロームではなくて豊穣な色彩の世界が広がっているかも知れない。


デザインというのは黒と白の世界ではなくて、曖昧で定義しきれないグレーや色彩の世界の価値や輝きを提示する行為ともいえます。
その意味では、ある人にとってはとても価値があるものだし、ある人にとっては何の価値も意味もない。つまりは定量的か定性的かというと、後者になります。
数値化して測ることが難しくて言語化しづらい。更には時間軸や文化的な条件によって変わり得る可能性が高い。


一方で、経済や法律というのは数値化、言語化を指向します。
商品には値段がつくし、犯罪は罪名で定義される。

だから市場主義経済や法治国家というのは数値化、言語化を指向する訳ですが、社会が複雑化すると数値化、言語化も複雑化します。

複雑化してくると目的と手段が逆転することもあります。
本来の目的を達成する為の手段があふれかえって、複雑な網の目のようになってしまって、主従が逆転してしまうと。

現代社会というのはそうした状況の中にまさしく置かれているのですが、そうすると逆にわかりやすい、大まかな判断を下すことで単純化し、安心しようとします。つまり世界を黒と白に分けることで判別するようになるし、そのことに価値の重きをおいていくようになる。

たとえれば、黒と白を塗り重ねたキャンパスをさらに白黒カメラで見ているような。


でも、そうすると豊かな階調のグレーやキャンバスの外にある室内の豊穣な色彩や、外に広がる大気の限りなく透明に近いブルー、とかも見えなくなる可能性が高くなる。


例をあげると、建築に係る法規というのはまさしくそういう状態に陥っているように見えます。



そして建築やデザインの世界の話に限らず、最近の世の中の動き全般を見ていると、どうもそういう気がしてきます。
ちょっと息苦しいし、怖い気すら、する。

せめてカメラのフィルターだけでも変えた方がより見えやすくなる気もします。


まあ比喩的なお話しになってしまうんですが、最近特に思ったことをちょっと書いてみました。
なんちゃって硬派、っぽいんですけどね・・・。