2010/06/28

金沢1

週末にシゴトの合間に金沢に行ってきました。


しばらく個人旅行に行ってなかったのですが、たまに行きたくなるものです。



金沢はここ数年、年に1回くらい行っているのですが、街の大きさが歩いてまわるのにちょうどいいのと、金沢21世紀美術館の企画展を見に行くのがだいたいお目当てです。ついでに食事も旨い。

基本的に美術系の建築出身なので、アート系への興味というのはずっとあります。
なので展覧会は美術館建築を見学するのも兼ねてよく見に行くのですが、わざわざ遠出してまで観に行きたい企画をコンスタントにやっているのはココとあとは水戸芸術館くらいでしょうか。
現代美術は近年まち興しの手法のひとつとして認知されていますが、コンスタントに良い企画を出している美術館というのはごく少ないものです。

ちなみに21世紀美術館の設計は建築界のノーベル賞、プリツカー賞を今年受賞したSANAA(妹島和世+西沢立衛)で、この美術館は彼らの代表作のひとつになります。


お目当ての展覧会は「ヤン・ファーブル×船越桂」展。







ヤン・ファーブルというヒトは、かの「ファーブル昆虫記」で有名なファーブルの子孫です。
船越桂は船越保武という日本の近代彫刻の祖の息子ですが、クスノキの木彫による人体彫刻で有名なヒトです。
ふたりともけっこう前から好きなアーティストだったので、ちょっとこれは観に行かねば、ということで行ってきました。

展覧会はこれまでのふたりの作品や過去の宗教画とかの伝統的な美術作品を組み合わせて部屋ごとに性格の異なる空間をつくっていました。
個々の作品を見せる通り一辺倒の展覧会ではなくて、どちらかというと美術館の空間を含めた総合的な展示=インスタレーション、という印象で建築を含めたコラボ・ワークでなかなか楽しめました。そして楽しめる中にも生や死といった根源的なテーマを突き付けるような作品・展示でココロにグッと突き刺さるような鋭さを含んだ展覧会でした。

8月末までやっているようなので、おススメです。


旅行全般で写真を色々撮ったので、またアップしようと思います。

2010/06/20

カプラ

先週になりますが、大学の友人の六本木の仮住まいに行ってきました。
自宅の改修中の数か月だけみたいですが、ホントに六本木のど真ん中でいい立地でした。

で、まだ引っ越しはしてなかったのですが、荷物の無い広い自宅でカプラで遊ぶ、、、、という企画。

カプラというのはフランス生まれ積み木ですが、ごくシンプルな木片のみです。
ただ、その木片の精度が良くていかようにも積むことができる。
その軽くて精度の良い木片を組み合わせることで色んな形をつくることができる、という積み木です。


友人のつくった作品。






でかい。たぶん2mくらいはあったかと。
そして背景の高層ビルの建築現場と微妙にマッチしているような。
構造的には架構が低・中・上層部で切り替わっていて、かつ上層部が片持ち梁になっているところがニクい。流石、建築専攻出身、、、です。


にしても、コドモのオモチャというのは結構奥が深いです。


積み木と建築の関係でいえば、アメリカの近代建築の巨匠、フランク・ロイド・ライトフレーベルの積み木の関係が有名ですが、やっぱり幼少期の体験というものの影響は大きい気がします。

三つ子の魂百まで、とはよくいったものです。

建築を生業とする身としては自分もフレーベルの積み木をやっておけば良かった、、、、とか思ってしまいますが。。。

ま、色々記憶を掘り起こすと今のシゴトにつながる遊びの原体験というのは何かしらある、気がします。

友人の子供と遊んだり、子供のオモチャで遊んだりするとそういう古い記憶を思いだす時があって、ちょっとコドモブームな今日この頃です。

2010/06/16

ブルーライト

また東京タワーネタですが、ワールドカップ仕様ということで、「サムライブルー」のライトアップになってます。









ブレてしまいましたが、ブルーのドットでシルエットをつくっていて、これはこれでなかなか風情がある。


世の中暗い話題が多いのですが、スポーツでたまに明るい話題を提供してもらうとやっぱりなんとなく心持ちが明るくなるものです。


がんばれニッポン!

2010/06/14

晩ごはん

前にも書きましたが、ナカメはおひとりさま♂が気軽に使えるお店が少ないので、ここ最近は自炊してます。

で、ブログに書いたことがきっかけで最近レシピ本をいただき(Kさんアリガトウ。)、いくつかのレシピにチャレンジしてます。


先日はアジア風ひき肉カレーというのをつくりました。





まあ、ブログに載せるクオリティには程遠いですが、、、自炊男子への第一歩、ということで。

見た目はなんとなく旨そうにも見えますが、はっきりいって塩辛かった、、、、です。

どうやら塩の分量を間違えたらしい・・・。


料理が得意な友人♂は、料理はケミカルだ、みたいなことを言ってたのですが、作ってみるとなるほどなあと思います。
やはり各種調味料のバランスや火の入れ加減等々が均衡する微妙な地点に美味しさというのは位置していると。

なので、慣れない人間は目分量でやると失敗する訳です。


まあ、建築でもそうですが、成功からはあまり学習しないですが、失敗からは学習することが多々あります。なので、こういう失敗を積み重ねて上手く(旨く)なれば、と思います。

ま、自分自身へのなぐさめですが・・・・。




2010/06/10

ゆらぽん

ちょっと前になりますが、某消防署に住宅用の火災報知器の設置届を提出しに行きました。

書類の決裁を待っている間、ふとキャビネットの上を見ると、こんなものが放置されていました。







「震度5以上で自動的に外れるコンセント、 ユラポン。」





・・・・・・ああ、地震でユラっと揺れた時にポンっと外れるから、「ユラポン」。。。





って、そのまんまのネーミングだろうがっっ!!


・・・・・と、突っ込みたくなる気持ちを抑え、思わず写真を撮りました。



だいたい消防系の設備というのはパッと見に製品の機能がわかりにくいせいか、ゆる系のネーミングがされていることが多い。


ツートップはなんといっても「オリロー」と「タスカール」でしょう。

基本的にそのまんまのネーミングですが、カタカナとしているところがミソです。
しかし、漢字変換すると「降りろー」、「助かーる」、、、ととたんにユルくなる。


とはいえ、設計者としては既に見慣れた、というか業界的にメジャーな製品なので、その辺のネーミングに対する違和感がマヒしています。社名でズバリ「ホーチキ」とかありますし。




ユラポン、もそうした消防設備系ネーミングの正統の系譜に属するといえますが、寡聞にしてはじめてその存在を知りました。

というか、べニア板の台座といい、剥がれかけたテプラといい、ブックエンドのようにされている置き方といい、放置されているに等しいその扱いにちょっと哀しみを禁じえません。。。


今後、大地震の発生が予測される関東地方ですが、はたしてユラポンの普及は進むのか・・・。
どうやら電源を復旧した時にショートして発生する火災を防止するための装置なのですが、数ある地震時のリスクからするとやや優先順位が低いかもしれないです。
ま、消防署で「放置プレイ」、、、を受けている訳ですし。


今後のユラポンの健闘を祈ります。。。

2010/06/07

小伝馬町

先日の人形町の続きです。

「山葵」で食した後に友人の住むマンションに案内してもらいました。

ヨコミゾマコトさん設計のデザイナーズマンション。





小伝馬町のオフィス街、飲み屋街の中に忽然とあります。
中央に立つヒトは友人の後姿です。勝手に載せちゃった。。。







住戸の中はメゾネット形式になっていて天井が高いです。
部屋の気積=空気の容量が大きいとそれだけで気持ちいいものです。

それと家具や荷物が多すぎないというのも余裕が生まれて良いなと。
モノがあふれている我が家をかえりみて思ってしまいます。。。

友人は北海道からの転勤なのですが、多くの荷物は札幌の家にそのまま残しているそうです。
生活の拠点が2箇所あるというのは気分が変わってよいだろうなと思います、うらやましい。









建物の顔となる、エントランスホールの様子。


ヨコミゾマコトさんというのは今や巨匠、伊東豊雄の事務所の出身の方ですが、師匠に較べると素材の使い方に特徴があります。

どちらかいうとポップというか、エロい、、、と思う。
エロい、というのは褒め言葉ですが。

なんというか、派手とかキッチュになる一歩手前で寸止めされている感じといいますか。
写真のように鏡面のステンレスにエッチング加工を施して微妙なパターンをつくっているのですが、壁も天井も鏡面にすると、それこそラブホテルになりかねない。
なのですが、照明の全体の明るさを抑制したり、白い床材にして、モノトーンでまとめることで派手になることを抑制している訳です。その抑制の加減が微妙なエロさを醸し出しているといいますか、なかなか上手だなあと思います。


にしても、場所がまさに都心なので、日本橋はじめ銀座、丸の内が徒歩圏内というのはいいなと思います。
都心回帰の動きというのはここ数年出ている訳ですが、街の魅力というのは用途が偏らず、いろんな機能や住む人の世代が混在している状態がよいので、そういう意味ではもっと都心のこういう地区に住宅や商業の用途が混在すると面白くなりそうです。

あとは都心の家賃がもっと下がればさらにいいんですけどね・・・。







2010/06/04

黒と白の世界

世界というのは黒と白の2色でできている、訳ではありません。

黒と白の間にグレーの階調が限りなくあって、更にはモノクロームではなくて豊穣な色彩の世界が広がっているかも知れない。


デザインというのは黒と白の世界ではなくて、曖昧で定義しきれないグレーや色彩の世界の価値や輝きを提示する行為ともいえます。
その意味では、ある人にとってはとても価値があるものだし、ある人にとっては何の価値も意味もない。つまりは定量的か定性的かというと、後者になります。
数値化して測ることが難しくて言語化しづらい。更には時間軸や文化的な条件によって変わり得る可能性が高い。


一方で、経済や法律というのは数値化、言語化を指向します。
商品には値段がつくし、犯罪は罪名で定義される。

だから市場主義経済や法治国家というのは数値化、言語化を指向する訳ですが、社会が複雑化すると数値化、言語化も複雑化します。

複雑化してくると目的と手段が逆転することもあります。
本来の目的を達成する為の手段があふれかえって、複雑な網の目のようになってしまって、主従が逆転してしまうと。

現代社会というのはそうした状況の中にまさしく置かれているのですが、そうすると逆にわかりやすい、大まかな判断を下すことで単純化し、安心しようとします。つまり世界を黒と白に分けることで判別するようになるし、そのことに価値の重きをおいていくようになる。

たとえれば、黒と白を塗り重ねたキャンパスをさらに白黒カメラで見ているような。


でも、そうすると豊かな階調のグレーやキャンバスの外にある室内の豊穣な色彩や、外に広がる大気の限りなく透明に近いブルー、とかも見えなくなる可能性が高くなる。


例をあげると、建築に係る法規というのはまさしくそういう状態に陥っているように見えます。



そして建築やデザインの世界の話に限らず、最近の世の中の動き全般を見ていると、どうもそういう気がしてきます。
ちょっと息苦しいし、怖い気すら、する。

せめてカメラのフィルターだけでも変えた方がより見えやすくなる気もします。


まあ比喩的なお話しになってしまうんですが、最近特に思ったことをちょっと書いてみました。
なんちゃって硬派、っぽいんですけどね・・・。

2010/06/01

スライドスキャナー

最近、フイルムスキャナーが格安でネットで売っていたので、買いました。

で、前々からの懸案事項であったスライドフイルムのデジタル化に夜な夜な取り組んでいます。
2000年くらいまではフイルムカメラとデジカメではまだフイルムカメラの方が精度が高かったので、それ以前に撮った建築の写真が長い間日の目を見ることもなく放置されていたのです。



最初にスキャンしはじめたのは98年に行ったイタリア旅行の時の写真。









ヴェネツィア近郊の田舎にある、カルロ・スカルパ設計のブリオン・ヴェガ家の墓地。



ちょっと色褪せてますが、「あの感動がよみがえるよ♪・・・・ 」、みたいな感じです。


この墓地がある場所は、カタコト英語すら通じない田舎だったので、ここに行くこと自体が小心な自分にとってはちょっとした冒険で、そんなワクワク感と同時に、思えば遠くに来たもんだ、、、、と感慨にふけりつつ、さらには憧れの建築にやっと対峙したなあ、、、と感激を噛みしめながら撮った一枚、がこれです。



今のデジカメだと撮影枚数はほぼ無制限で、かなり軽い気持ちで撮ってしまうため一枚一枚の重みがかなり軽いのですが、当時は枚数に限りがあるフイルムを大事にしながら撮っているので、撮った写真の中にその時の自分の気持ちも刻み込まれているような気がする。
写真を見ていると自分がどこを見て、何に感激していたのかがよくわかるといいますか。

とはいえ、当時から既に12年(!)も経ってしまい、何を撮ったのかよくわからん、、、写真もやっぱり紛れていました。
光陰矢のごとし、とか十年一日、とかいいますが、ついこの間のことに思えて結構昔だったりするので、忘れてしまっていることもあるものです。。。

まあ、そんないつの間にやら昔になってしまった日々のお宝画像を取り戻すべく、しばらくスキャン作業を続けるので、またこちらにもアップしたいと思います。