2010/09/03

定性的/定量的

学術用語のようですが、建築の良し悪しを判断する時には「定性的」な評価軸と「定量的」な評価軸があります。

ウィキでみると「定性的研究」というのは「対象の質的な側面に注目した研究」とあり、「定量的研究」は「対象の量的な側面に注目し、数値を用いた記述、分析を伴う研究」とあります。

ものすごく単純化すると、ある対象を「質」で評価するか「量」で評価するか、ということになります。

「定量的」に建築を評価するというのは割と方法が確立されていて、たとえばnLDKの間取りとか坪単価とか、面積、高さ、寸法といった数値に還元することが可能です。建築の見積書はそれが更に徹底していて、ある建物にかかる材料の数量、単価、人工、手間などを細分化して数字として積み上げていきます。いかなる建築であれ、数字に還元されつくしているので、金額的に比較可能な対象となりうる。
また建築にかかる各種法規も定量的な基準を設定することで構造的な安全や高さの限度、シックハウスの予防等を確保しようとしています。


一方で「定性的」な評価軸の代表はデザインの良し悪し、です。
例えば映画のアカデミー賞とか建築でいえばプリツカー賞とかは判断のつきにくい芸術というものに対して賞を授与することによって定性的な判断の基準をつくり、良し悪しをわかりやすくできるようにしているといえます。
とはいえ何が良くて何が悪いのか、というのは多くの場合、曖昧で主観的な基準になってしまうので、説明がしづらい要素になります。なので、不動産などの経済的ルールの俎上に載せると定性的な評価軸というのはほとんど決め手にならないのが現状といえます。
それでも「建築家による狭小住宅」というジャンルが近年定着しているのは、「狭小」という定量的なハンディキャップを「定性的」な建築家のデザイン・計画力によって魅力あるものに昇華しているから成立している訳です。

なので、「定性的」な評価軸で建築を判断するという傾向は専門家のみによって共有されるものから専門家でない一般の方々にまで徐々に拡がりつつあるのは事実です。

その一方でたとえば環境性能やエコポイント、耐震等級とか、新たな「定量的」な評価軸も次々に出てきていて、「定性的」な評価軸の一般的認知の拡がりとあわせて、建築をつくる条件や評価軸が段々と複雑化しているのが昨今の建築をめぐる状況といえます。
つまり建築をつくろう、建てようという時に何を基準に判断するか、という選択が複雑化していて、非常に戸惑う状況になりつつある、といえます。

建築家としては定量的なポイントを押さえるのは当然として、定性的なポイントをさらに研鑽していく、という点が大事な訳ですが、単にコストを高くするということではなくて、いかに知恵やアイデアを絞るか、という点が肝要に思われます。コストを高くすればある程度いいものが出来るのは当然、ともいえますが、実は世の中で名作といわれる建築が一様にコストをかけているものかというとそうでもないものです。

ただ、そういう知恵やアイデアというのは個別の特殊解であるので、伝えにくい曖昧模糊とした存在であるのも事実です。そうすると定量的な評価軸を説明するのが一番伝えやすいのですが、価格競争で消耗戦になることもままある。


まあ、こうした状況で建築家という商売をやるというのは大変な面も色々ある訳ですが、こういうブログを書いているというのも、自分達の仕事に限らず「定性的」な事物の魅力や楽しさを伝えることが出来れば、、、という思いが多分にあります。なかなか言葉で記述しきれない訳ですが。。。

また、こういう判断基準が錯綜している状況では何が自分にとって大事なのか、という価値観が問われるのですが、直観を信じるというのは意外に正しいのかな、という気もします。
自分自身がモノをつくる時にもいえるのですが、どこに優先順位をつけて進めてゆくかというのは割と瞬間的な直観の判断に拠っているなと。


モノを創造する場合でも消費する場合でも複雑な状況に直面するのが現代社会な訳ですが、直観力を磨く、というのは大事な気がします。で、それは「定性的」な判断である場合が多い。

建築をやっていると、こうした「定性的/定量的」な価値判断にぶつかるケースが最近よくあるので、ちょっと書いてみました。